中島の九州ブログ

九州内の名所や行事などを紹介したブログです。 ご覧いただきありがとうございます。

2020年04月

熊本県八代市の球磨川河口にある龍神社と水島を訪れてみました。
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堤防沿いの道路から道を少し下ったところに鳥居があります。
神社はこの向こう側

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川に向かってあります。
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神社へ川の上の参道を渡ります。
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龍神社です。
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明治時代に創建され、昭和の時代に移設されました。
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龍神社の横にあるのが水島です。
その昔景行天皇の立ち寄った所と言われ、国の名勝地にも指定されています。
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日本書紀の景行天皇18年4月の条にこの島で食事をなさろうとした際
水がなかったので、少左(おひだり)という人物が天地の神々に祈ったところ
水が湧き出してきたので、以後この地を水島と呼ぶようになったそうです。
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水島の下流側には万葉の里公園もあり
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長田王が詠んだ万葉集の歌碑などもあります。
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聞きし如 まことに貴く 奇しくも 神さび居るか これの水島
(話に聞いていたとおり、本当に尊く、何と神々しく見える事か、この地水島は)

熊本県上益城郡嘉島町井寺にある浮島神社です。
地元では「浮島さん」として親しまれ、水郷嘉島町のシンボル的存在となっています。
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西側から見た浮島神社
島のように見えますが、実際は半島のように突き出ており陸続きで行くことができます。
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この一帯は「浮島周辺公園」となっており
1997年アートポリス推進賞にも選ばれています。
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湖岸を歩いてみました。
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鴨などの野鳥の楽園となっています。
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神社に着きました。
正式には浮島熊野坐神社(うきしまくまのますじんじゃ)
イサナギの尊とイザナミの尊を祀る神社です。
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参道途中には赤女稲荷(あかじょいなり)神社馬頭観音や
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赤ちゃんの百日祝を願う歯固石(はがためいし)などがあります。
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拝殿
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神社の西側には約3ヘクタール、湧水量1日約13万トンの湧水池が広がります。
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平成20年には国の「平成の名水百選」にも選定されています。

戸馳島は熊本県宇城市三角町の八代海に浮かぶ周囲約16.5km、面積約7㎢ほどの島です。
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三角海のピラミッドから見た戸馳島
かつてはここから連絡船もありました。
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戸馳島へは国道266号線から戸馳大橋を渡ります
昨年新たに橋が架け替えられました。
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島の東側には若宮海水浴場があります。

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約300mの砂浜があり、夏は近くのキャンプ場と共に賑わいます。
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近くの戸馳神社では
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恋みくじが人気です。
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樹齢110年の夫婦銀杏
一つの株から雄木、雌木の二つの幹に分かれており、全国的にも珍しいものです。
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仁王像
自分の病むところをなでて仁王様の同じ部位をなでると
その病や痛みが治ると伝えられています。
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近くにある「花のがっこう」へ行ってみました
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館内には植物が飾られ
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図書スペースやカフェなどの他
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「原生の森」と名付けられた温室もあります。
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敷地内にある蘭の花が栽培されいる温室を見学させてもらいました。
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戸馳島は蘭の花の栽培が盛んなところで
年間150株もの蘭が出荷されています。
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温室内には美しい蘭の花がずらりと並んでいました。

花のがっこう
10:00~17:00
定休日 木曜日
入館無料

八代市松江城町にある八代城は元和5年(1619年)加藤忠広によって建てられたお城で
別名白鷺城や松江城とも呼ばれています。
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現在石垣と堀が残っており
新日本100名城の一つとなっています
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東側の欄干橋から入ってみると
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桜も見頃を迎えていました。
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唐人櫓跡より
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小天守跡とその先が大天守跡
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八代城址の中にはかつて本丸御殿があった跡あたりに
八代宮があります。
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懐良親王を主祭神とし良成親王を配祀する神社として
明治17年(1884年)に建立されました。
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堀の周りには小さな小さなくまモン像によるお城の案内板もあります。
写真は「三階櫓跡」
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こちらは「八代城跡本丸」のくまモン像
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八代宮から南側の参道は特に桜が美しい場所でもあります。

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もちろん桜も良いのですが、花より団子という事で
大鳥居のすぐ前にある「一休本舗 八代店」で花見団子を買ってみました。

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この三色の団子は
ピンクが桜、白がお酒、緑が新緑の地面を表しているそうです。
まさに今の時期にピッタリですね。

熊本県宇土市にはふたつの城跡があります。
今回はこのふたつの宇土城跡を訪れてみました。
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まずは「国指定史跡」にも指定されている中世宇土城跡
宇土市街地の西側に「西岡台」と呼ばれる小高い丘陵があり
この丘陵全体を利用したのが中世宇土城跡です。
築城は1048年(治承3年)頃と言われています。

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案内板の所から石段を登っていくと内堀跡があり
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内濠からは大量の石塔が出土しています。
「堀に投げ込まれた大量の石塔」の案内板です。
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虎口(こぐち)を抜けて直角に曲がると
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千畳敷広場に出ます。
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ここには「建物跡および柵列跡」などが復元されています。
おびただしい柱の痕跡が重なり合っており、
これは建物が何度も建て替えられたことを示しています。
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宇土氏や名和氏など城主が度々変わった中世宇土城跡ですが、
最終的には1588年(天正16年)小西行長が東に新城を築城した地点で城としての役目が終わり
中世宇土城跡から近世宇土城へと拠点が移ります。
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中世宇土城跡から東に数百メートル、現在の宇土市古城町「城山」の近世宇土城跡には
熊本城の武者返し石垣にも引けを取らないような立派な石垣が残っています。
宇土城はもともと小西行長が築いたものですが、1600年(慶長5年)に小西が没した後
小西領も併合して肥後の領主となった加藤清正により大改修がされ
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現在残っている石垣も清正公によって改修された時期のものと思われます。
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南側から緩やかな坂を上っていくと
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キリシタン大名「小西行長公」像が見えてきます。
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小西行長が築き、加藤清正の改修によって完成したと思われる宇土城ですが
清正公の死後廃城となりました。
現在熊本城にある三層の小天守「宇土櫓」は宇土城天守閣を移設したという説もあります。
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(これについては1989年(平成元年)の解体修理の際
その痕跡が見つからなかったので否定的な意見が主流のようですが。)
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廃城となった宇土城は更に1637年(寛永14年)にキリシタンと農民による
「天草島原の乱」が起こると再度破壊されました
もともと小西行長の城下であったためキリシタンが多く、島原半島の原城のように
一揆が起こった場合の拠点になることを恐れたためではないかと言われています。

現在の広い宇土城本丸跡には桜が植えられており
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訪れた日はぽつぽつと花も咲き始めていました。

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